孫とスキー
5時過ぎに起きて安城から来る娘の佐紀子一家と、ひるがの高原で合流してスキーをすべく、佐千夫と高速を移動。北陸道から名神も大垣の辺りまで、ずっと降ってました。
東海北陸道迄は佐千夫が運転してくれたのですが、運転を交代してから大渋滞が始まり、ひるがの高原スキー場に着いたのは12時半でした。

レストランで佐紀子達と合流。昼食後ゲレンデへ出たのですがずっと降っていました。裕大には2003年のユニバーシアードへ参加したときのユニフォームをプレゼント。
着ている本人は気付いて無いのですが、背中には JAPAN とプリントしてあって、照れくさくてとても日本では着られないので、大会の時だけ着てずっと手を通してないのです。

禎裕君と裕大はボードをしていました。裕大はボード初体験。

まずは全員でラフティング。係員の若者2人が丁寧に説明してくれ、気軽にシャッターを切ってくれました。写真を撮ろうと思ったら私も入って一緒にと言ってくれたので、珍しく私も写っています。

夕方、薄暗くなりかけた5時半に現地を出発したものの、最初から大渋滞。ETCカードを持って行か無かったので、「ひるがの高原SA」のスマートインターは使えず、高鷲インターまで国道156号を走ったのですが、15㎞ほどの距離を延々2時間。止まったり止まったりで写真撮影も悠々。
高鷲インターを過ぎて暫くして渋滞は解消。確かに車は多かったのですが、事故などの渋滞の原因は特になし。大垣を過ぎる頃から雪が降り出し、米原から木之本までの北陸道は、除雪車の先導でゆっくり運転。結局家に帰り着いたのは夜中の1時過ぎでした。往路6時間・帰路7時間半。

東海北陸道迄は佐千夫が運転してくれたのですが、運転を交代してから大渋滞が始まり、ひるがの高原スキー場に着いたのは12時半でした。

レストランで佐紀子達と合流。昼食後ゲレンデへ出たのですがずっと降っていました。裕大には2003年のユニバーシアードへ参加したときのユニフォームをプレゼント。
着ている本人は気付いて無いのですが、背中には JAPAN とプリントしてあって、照れくさくてとても日本では着られないので、大会の時だけ着てずっと手を通してないのです。

禎裕君と裕大はボードをしていました。裕大はボード初体験。

まずは全員でラフティング。係員の若者2人が丁寧に説明してくれ、気軽にシャッターを切ってくれました。写真を撮ろうと思ったら私も入って一緒にと言ってくれたので、珍しく私も写っています。

夕方、薄暗くなりかけた5時半に現地を出発したものの、最初から大渋滞。ETCカードを持って行か無かったので、「ひるがの高原SA」のスマートインターは使えず、高鷲インターまで国道156号を走ったのですが、15㎞ほどの距離を延々2時間。止まったり止まったりで写真撮影も悠々。
高鷲インターを過ぎて暫くして渋滞は解消。確かに車は多かったのですが、事故などの渋滞の原因は特になし。大垣を過ぎる頃から雪が降り出し、米原から木之本までの北陸道は、除雪車の先導でゆっくり運転。結局家に帰り着いたのは夜中の1時過ぎでした。往路6時間・帰路7時間半。
