玉栄の刈り穫り
昨日は5時を過ぎていたのに、ヤンマーの代理店からコンバインの回送に来てくれ、隣町の圃場整備田から家の近くで、今日の刈り取り予定地へ移動しておきました。

乾燥機の都合もあり全部は刈れなかったのですが、3枚植えてある酒米「玉栄」の内、1反4畝の田を刈り穫りました。少し刈り遅れ気味なのですが、昨年も22日に刈っています。

例年はこの圃場は家に近いので、フォークリフトで受けたフレコンをそのまま運ぶのですが、農道にトラックを置いて自立型のフレコン2個を置き、コンバインから籾を排出。

高校時代の恩師:吉田茂芳先生が亡くなられました。吉田先生は我々のクラスが卒業すると、龍谷大学に新設された経済学部に転任されたので、高島高校での先生の卒業生は我々だけ。
勿論先生は、家業の吉田酒造の社長でもあり、息子の肇君は私がマキノ中学へ講師で行った折の生徒という縁で、我が家で酒米を作り吉田酒造でお酒になっているのです。
酒米を収穫している最中に、先生がお浄土へ旅立たれたのも何か不思議なご縁を感じています。昨日のお通夜に続いて今日のお葬式にも参列。帰ってから酒米「玉栄」の2枚目を刈り穫りました。

24日、残っていた3枚目の玉栄を刈り穫り。今日は農道が狭いので軽トラで対応。風が強くてフレコンが自立せず、何度もやり直しにコンバインと軽トラを往復させられました。

玉栄が終わったので、残っていた加工米の秋の詩を刈り取り。此処は農道が狭くて軽トラでも入りにくいので、心配しながら籾を排出しました。

最後の一枚は農道でも軽トラが入りにくいので、コンバインを乗って行って隣の圃場の農道で籾を排出。住宅街の側なので、埃が家の方に流れないか心配でした。


乾燥機の都合もあり全部は刈れなかったのですが、3枚植えてある酒米「玉栄」の内、1反4畝の田を刈り穫りました。少し刈り遅れ気味なのですが、昨年も22日に刈っています。

例年はこの圃場は家に近いので、フォークリフトで受けたフレコンをそのまま運ぶのですが、農道にトラックを置いて自立型のフレコン2個を置き、コンバインから籾を排出。

高校時代の恩師:吉田茂芳先生が亡くなられました。吉田先生は我々のクラスが卒業すると、龍谷大学に新設された経済学部に転任されたので、高島高校での先生の卒業生は我々だけ。
勿論先生は、家業の吉田酒造の社長でもあり、息子の肇君は私がマキノ中学へ講師で行った折の生徒という縁で、我が家で酒米を作り吉田酒造でお酒になっているのです。
酒米を収穫している最中に、先生がお浄土へ旅立たれたのも何か不思議なご縁を感じています。昨日のお通夜に続いて今日のお葬式にも参列。帰ってから酒米「玉栄」の2枚目を刈り穫りました。

24日、残っていた3枚目の玉栄を刈り穫り。今日は農道が狭いので軽トラで対応。風が強くてフレコンが自立せず、何度もやり直しにコンバインと軽トラを往復させられました。

玉栄が終わったので、残っていた加工米の秋の詩を刈り取り。此処は農道が狭くて軽トラでも入りにくいので、心配しながら籾を排出しました。

最後の一枚は農道でも軽トラが入りにくいので、コンバインを乗って行って隣の圃場の農道で籾を排出。住宅街の側なので、埃が家の方に流れないか心配でした。
