台風一過の秋晴れ
「漬かず込まずの鍛冶屋村・嫁にやりたや鍛冶屋村」と、安曇川下流域では古謡にうたわれていたと、母から聞かされました。その母はこの話を祖母から聞いたと言うのですが、私の住む鍛冶屋村は安曇川の中流域にあって、しかも周辺の地区からは少し高みになっています。「大水が出ても家が水に漬かる事はなく、川でさえ水込みしない鍛冶屋村」と言う意味だと言う事なのです。
祖母はその当時、大水の度に浸水騒ぎを経験していたと思われる、安曇川では下流域の青柳地区の生まれでしたから、この様に謡われていた鍛冶屋村から縁談が有った時、一も二もなく承知し我が家へ嫁いで来たと話していたそうです。明治41年3月の事でした。
昭和28年、当時私は小学校6年生でしたが、安曇川の堤防があちこちで決壊し大きな被害が出ました。祖母の実家の辺りまで、長靴を履いて見に行った記憶があります。「二十八水(にじゅうはっすい)」と今に語り伝えられる大災害でした。丁度60年前の出来事です。
昨日はこの八田川にも川幅一杯に水が流れ、畦を越えて溢水しそうな程でした。奥の方に我が家のコシヒカリと山田錦が9反半ほど有りますが、何とか難を免れ無事でした。

台風一過の秋晴れと言いますが、昼過ぎには日差しが戻って夕方には綺麗な秋晴れになりました。あちこちの水浸しになった田の水戸尻を抜き、稲刈りに備えて排水しています。

今朝見に回った時には、水は結構良く抜けていて倒伏も思ったよりは少なかったので、次の台風も発生していて気になりますが、田面が乾いたら何とか稲刈りが再開出来そうです。
祖母はその当時、大水の度に浸水騒ぎを経験していたと思われる、安曇川では下流域の青柳地区の生まれでしたから、この様に謡われていた鍛冶屋村から縁談が有った時、一も二もなく承知し我が家へ嫁いで来たと話していたそうです。明治41年3月の事でした。
昭和28年、当時私は小学校6年生でしたが、安曇川の堤防があちこちで決壊し大きな被害が出ました。祖母の実家の辺りまで、長靴を履いて見に行った記憶があります。「二十八水(にじゅうはっすい)」と今に語り伝えられる大災害でした。丁度60年前の出来事です。
昨日はこの八田川にも川幅一杯に水が流れ、畦を越えて溢水しそうな程でした。奥の方に我が家のコシヒカリと山田錦が9反半ほど有りますが、何とか難を免れ無事でした。

台風一過の秋晴れと言いますが、昼過ぎには日差しが戻って夕方には綺麗な秋晴れになりました。あちこちの水浸しになった田の水戸尻を抜き、稲刈りに備えて排水しています。

今朝見に回った時には、水は結構良く抜けていて倒伏も思ったよりは少なかったので、次の台風も発生していて気になりますが、田面が乾いたら何とか稲刈りが再開出来そうです。
