浅見絅斎先生
江戸時代初期の承応元年(1652年)、市内新旭町太田に生まれた浅見絅斎先生は、京都で山崎闇斎に学んだ儒学者。著書の「靖献遺言」は幕末の勤王家を支えたと言われ、吉田松陰は獄中にあってなお、この「靖献遺言」を読んでいたといわれています。
没後300年記念の講演会が新旭町の公民館で開かれ、絅斎書院のある太田の区長を勤めている幼馴染みの洋一君に誘われ、講演を聴きに行ってきました。講師は同社社大学文学部文化史学科の露口卓也教授。赤穂浪士を題材に、その処分について当時対立した5人の儒学者の意見を参考に、浅見絅斎先生がどのような考えを持っておられた学者なのかを講演して頂きました。
我が家は同じ市内でも安曇川町にあり、子供の頃から「中江藤樹先生」の事は良く知っておりますが、隣町の浅見絅斎先生について詳しく聞くのは初めて。実はちょっとドキドキして聞いておりましたが、赤穂浪士についての5人の儒学者の意見の中で、一番心に残る物の考え方をしておられた方だったと知り、大いに安堵すると共にもっと深く勉強してみたいと思った次第です。

没後300年記念の講演会が新旭町の公民館で開かれ、絅斎書院のある太田の区長を勤めている幼馴染みの洋一君に誘われ、講演を聴きに行ってきました。講師は同社社大学文学部文化史学科の露口卓也教授。赤穂浪士を題材に、その処分について当時対立した5人の儒学者の意見を参考に、浅見絅斎先生がどのような考えを持っておられた学者なのかを講演して頂きました。
我が家は同じ市内でも安曇川町にあり、子供の頃から「中江藤樹先生」の事は良く知っておりますが、隣町の浅見絅斎先生について詳しく聞くのは初めて。実はちょっとドキドキして聞いておりましたが、赤穂浪士についての5人の儒学者の意見の中で、一番心に残る物の考え方をしておられた方だったと知り、大いに安堵すると共にもっと深く勉強してみたいと思った次第です。
