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会員交流会

  8月末の日曜日には毎年和歌山で、海外派遣農業研修生のOB会が会員交流会を開催します。昭和54年から25年間、和歌山県かつらぎ町で渡航前講習をしていた事もあり、学生時代を過ごした京都についで、私にとって和歌山は第3の故郷と言っても良いほどなのです。

  海南市下津町の橋詰孝・龍也OBの樹園地で現地研修が有りましたが、此処はこの急斜面で面積は2反歩。20kgほど入るコンテナで900杯のミカンを収穫すると聞くと、呆れるやら驚くやら。全部が手仕事で、収穫したミカンを園地から運び出すだけでも、大変な作業ですね。

橋詰農園で現地研修

  バーベキューは「JAながみね」の選果場。幸い雨は上がりましたが、これだけ広い場所を貸して頂けるのをも、農協組合員としてのOB達の実力でしょう。

  冒頭に、前日脳梗塞で亡くなった亀井弘OBの冥福を祈って、黙祷を捧げました。この後夕方7時からの通夜には、亀井君と同期の19回生達が中座して参列しました。

亀井弘君の冥福を祈って黙祷

  乾杯の音頭を頼まれたのですが、亀井君が若くして亡くなった事もあり、「頑張れば夢は必ず叶う……等と思わない方が良い。それは成功した者だけが言える事で、取り返しのつかないほど無理を重ねたら、何にもならん。とは言え頑張らんといかんので、健闘を祈って乾杯しよう」 と挨拶。

挨拶と乾杯の音頭

  バーベキューが始まる前に写真を撮った方が、参加者全員が揃って居るし明るくて良いやろうと、いつもとは逆に最初に記念撮影。大阪から参加した森本OBがシャッターを押してくれました。

まだ明るい内にと記念撮影

  我が家の純米酒「かじや村」を手土産に持参。冷やで飲んで貰うのですが、美味しいと言って飲んでくれるOBもいて、毎年好評です。まあ、何と言っても山田錦の純米酒なんで。

我が家のお酒「かじや村」を手土産に

  毎年カメラマンをしていて参加者も多いので、私はほんの数人と話しただけですが、あちこちで話に花が咲いているのを見ると、こういう交流会が果たす役目が非常に大きい事を感じます。

あちこちで話が弾んでいます

  毎年インドネシアから3人の研修生が和歌山に来ていて、それぞれ栗本・橋詰・伊藤の3人のOBの農場で研修しているのですが、彼らもそれぞれの農場主と一緒に参加してくれます。

インドネシア研修生達も一緒に

草刈り再開

  お盆が済んで雨も上がったので、あちこちの田で畦草を刈り始めました。お盆前には一通り刈ってあったのですが、夏場は草の伸びが酷くて草刈りに追い回されます。草の種類によって伸びは違いますが、何とか見苦しく無いのはせいぜい1週間位でしょうか。

  いっそのこと除草剤を掛けたら楽が出来るのですが、田の畦は草の根でその形を保っています。此処に除草剤を掛けると畦が崩れるし、放置すればカメムシなどの害虫の住み処になるので、どうしても草刈りは欠かせません。

  7月21日、苗代跡地に植えたコシヒカリも、何とか鴨の食害を逃れてサマになって来ました。

様になってきました

  6月6日、今年最初に植えたコシヒカリは、少し穂が傾いて来ました。

穂が傾いて来ました

  6月22日に植えたコシヒカリも出穂が始まりました。今日は風があってボチボチ秋の気配。5月の連休の頃に植えると、猛暑が続けばどうしても促成栽培の様になり、出穂してから1ヶ月程の短期間で稲刈りになってしまいます。

  美味しいと言われる新潟のコシヒカリは滋賀県と比べると、出穂から刈り取りまでの日数が全く違うようです。それを狙って超遅植えをしているので、こんな日が続くとお米もじっくりと登熟して、一段と味がのるのですが。残念ながら滋賀県は真ん中に琵琶湖があり、夜の温度が下がりにくいので同じようにはいかないのです。

風は秋の気配

  出穂が始まると稲穂に付いている籾は、外穎と内穎をパカッと開いて順々に受粉をします。曇り空や雨の日はこの開き具合が大きくないので、天気が悪いと受粉しないという分けでも無いのですが、こういうさわやかな好天が続くのは絶好の受粉日和。

好天のもとで受粉

  左側の水路の河床が田面より高いので、この田は刈り取り時に田面が乾かなくて難儀します。年中水が入る様な田でセリを作りたいからと言われ、水路側を仕切ってお貸ししたのですが、肝心のセリは消えてしまって草だらけになりました。

  稲を作る場合にはセリは雑草。結構邪魔になる事も多く丈夫と思われているようですが、コナギやヒエ・オモダカ等には敵わないようです。除草剤は使えないし、やはりそれなりに手入れをしないと栽培は無理と言う事でしょう。

芹田のはずが…

大峰山参拝登山

  8月8日(土)・9日(日)と、我が家の夏の年中行事である大峰山への参拝登山に行って来ました。同行は甥っ子3人に子供たちが3人。ここ数年はこの顔ぶれで行っています。

  昨年は前日の肥料撒きで左膝下の腱にピリッとした痛みが走り、洞川までは行ったものの大事を取って、お山には行きませんでした。左膝を庇って仕事をしていたせいか10月には右膝も痛め、冬下に養生すれば治るやろうと思っていたのになかなか完治せず、春になって「タプソール 8」を取り寄せて貰って毎日患部に塗り、ようやく痛みが引いてきました。

  朝4時起きで準備し駐車場までは車で行って、5時半から登山開始。8時には親の代から定宿にお願いしている光緑園西清旅館の出店で朝食。この食事が曲者で、腹は膨れるのですが鐘掛岩までの急坂では、例年息が上がって仕舞います。

西清の出店で遅めの朝食

  それでも何年振りかの好天に恵まれ、無事鐘掛岩の行場を登り切りました。一昨年までは子供たちを補助して岩場を登らせる役をしていましたが、昨年から高校時代には山岳部だった甥っ子が代わってくれています。私は一段上で子供を迎えるだけで済むようになりました。

子供たちが鐘掛けの行場で修行

  甥っ子達はもう先達の域。子供達も既に4~7回登っていて、世話の焼けることはありません。

鐘掛の行場を無事通過

  西の覗の行場では、子供達3人だけが修行。私が子供の頃は命綱もなく、大人が2人足首を持っていて、行場の案内人が腰のベルトを掴んで前に押し出したものですが。

西の覗で修行

  覗きが終わると、「ありがたや 西の覗に懺悔して 弥陀の浄土に入るぞ嬉しき」と唱え、修行が終わります。

西の覗で修行

  ようやく大門まで来ました。毎年ここまでくると一安心。ホッとして記念撮影をします。

あと少しで本堂です

  本堂が見えた安心感のせいもありますが、この最後の坂道の風情が私の一番好きなところ。 

本堂が見えました

  護摩を焚いて頂く受付に、毎年純米酒「かじや村」をお供えにもって行きます。昨年は山上の本堂へは行けなかったので、お酒も洞川の龍泉寺へお供えしたこともあり、受付では「今年は大先達はどうした?」と問われたとか。

  護摩を焚いて頂き般若心経を一緒にあげ、天気が良いのでお花畑を経由して下山しました。

日本岩の上で

  子供たちは駐車場でソフトクリームを食べるのが楽しみで先に降りましたが、残念ながら機械の故障でソフトクリームは無かったとか。我々は30分遅れで無事下山。1時15分でした。

  宿舎の西清旅館へ帰り、風呂に入って遅めの昼食。しばらく休憩してから毎年のように松谷清造本舗へ立ち寄り、陀羅尼助や吉野葛をお土産に買って帰りました。

 此処にあげた写真も含めて、ホームページ に載せています。大峰山参拝-2015

陀羅尼助の松谷清造本舗で

墓掃除

  毎年8月初めの日曜日には、田中郷共同墓地の墓掃除があります。今年は2日でしたが、7時から開始との連絡があっても暑くなる前にと、早い人は6時過ぎには始めておられます。

  草刈機を持って出掛けるのですが、例年なら私の分担?になる道路が既に刈ってありました。おそらく役員さんが前もって出役されたのでしょう。それにしても墓地の中は凄い草…。  

何処から手を付けようかと思うほどの草

  この写真の真ん中辺りに我が家のお墓が集中していて、上の方に少しだけ先祖代々の墓も見えています。しかしこの状態では草刈機を振り回すのは危険。人海作戦になりますね。

我が家のお墓がこの辺りに15基あります

  横の方から刈って上がって、ようやく先祖代々の墓までたどり着きました。お墓同士の間が狭く、草刈り機だけではとても綺麗にはなりませんが、この辺りが共同作業の良い所です。

平井家の先祖代々の墓もこの通り

  田中郷は、町村合併前には安曇川町大字田中で戸数700戸ほど。大字田中には入らなくても、墓地は此処にある集落があるのでこの共同墓地は非常に大きく、全体では写真に写っている南市区の掃除分担部分の、おそらく数倍にはなります。何とか整理してもっと綺麗にしたいのですが、墓地に余裕が無くて無縁仏も多くあり、手の付けようがありません。

2時間程ですっかり綺麗になりました
プロフィール

 平井 貞夫

Author: 平井 貞夫
 かじや村は鍛冶屋村。私の住む戸数10戸の小字名。
「かじや村便り」は平井農産のホームページに載せていましたが、平成22年5月号からブログへ移行しました。
 青文字の部分をクリックして頂けば、関連するブログやホームページへ移動します。
 
 滋賀県高島市安曇川町田中  平井肥料店/平井農産

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