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田ノ神さん

  11月30日は「田ノ神さん」ですが、この辺りでは「タナカミさん」と少し訛って呼んでいます。「田ノ神さん」は、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた農耕神。

  「田ノ神さん」には我が家では、一年の農作業が無事に終わった事を感謝して、ネコヤナギの小枝で箸を作り、大根と赤飯に小魚を麹蓋に載せ、神棚の横にお供えします。

  この行事は三年前に亡くなった母がずっと準備してくれていたので、そういえばしばらくしていなかったと昨年気づき、今年こそはと準備しました。まずはネコヤナギの小枝で箸作りから。

  二膳の箸を作るのですが、普通は川端でする仕事なのに今日は寒くて、テレビを見ながら新聞紙の上での作業になりました。特に長さは決まっていなくて、我が家では大体この位です。

  手に持つ部分は樹皮を残し先の方は削っておきます。表皮をカッターナイフで削ってから、残った黄緑色の皮をカッターナイフの背でこそぎ落とすと、真っ白な枝が出てきます。

ネコヤナギの小枝で箸を作ります

  母が元気だった頃は、あらかじめ池で小魚をすくって準備していましたが、今日の様に寒いと魚は池の底に沈んでいてつかめませんでした。で、今日は新しいダシジャコで代用です。

  普通の大根は作っていないのでお店に買いに行ったら、全部葉が切り落とされていたとのこと。ちょっと型が不揃いですが、畑にあった「辛み大根」で代用しました。

  赤飯は普通の炊飯器で炊いたので少しべたついた感じで、蒸し上げた赤飯とはかなり舌触りが違いましたが、新米の滋賀羽二重糯の赤飯の味は格別でした。

麹蓋に全部載せて神棚の側にお供え  

揺動式の籾摺機

  籾摺機には一般に2種類あるのですが、我が家では内側に窪みの付いた円筒形のふるいが回転して、玄米と籾の比重、重心位置の違いで選別するロータリー式を使っていました。

  しかし山田錦は米粒が大きいため、筒の窪みに合わないためかと思うのですが、選別が上手くできなくて能率を上げると籾が混じるので、籾摺りには非常に時間が掛かるのです。

  他の粳米の場合は問題ないので買い換えるのも勿体ないからと、オークションで揺動式の籾摺機を落札しました。古い物で動作確認無しで出品されていましたが、写真では綺麗でした。

  昨日引き取りに行ってきましたが、下の方には少し錆があるものの全体に綺麗で、ロールは磨り減って居て交換が必要と書かれていましたが、へこみも無くて上々の品かと思われました。

サタケの揺動式籾摺機・GPS350

  使いっぱなしで渡された機械だったので、掃除機でゴミを掃除し汚れを落として試運転しました。結構静かでまあまあ良い買い物かなと思ったのですが、試しに入れた籾が上手く摺れません。

  何処か見えない所で詰まっているに違いないと、半日掛かりで何度も掃除をし詰まった籾殻などを取り除きましたが、何度試しても上手く摺れません。殆ど諦め掛けた時やっと気がつきました。

  米の昇降機が逆に下方向に回転しているのです。モーターも昇降機のプーリーを回しているVベルトもちゃんと右回りに廻っているのに、バケットは逆に廻って下の方に動いているので、よく見るとバケットの最下部にある回転軸とプーリーの間に、ギアが入っている様なふくらみがあります。

  念のため友人の電気屋さんに確認して、電気のコンセントの配線を組み替え、モーターを逆に回転させることでバケットが下方向に廻るのを解決しました。これで大丈夫でしょう。

  元の持ち主は几帳面な方だったらしく、機体にはH11.9と購入年月が書かれていました。しかしあまり農機具の取り扱いには詳しく無かった様で、籾摺りロールは極端に片減りしていました。

ロールは極端に片減りしていました

  原因は籾摺りロールを回転軸に止めているネジが緩んで、2個のロールが前後にずれていたためでした。しかもこれだけゴムが磨り減っていては、籾は上手く摺れないし米も傷つきます。

  Vベルトも2本切れる寸前でした。勿論電気の配線の件は別ですが、ロールやベルトが原因と分からないまま古い機械やからと、籾摺機を買い換えられたのでは無いかなと思っています。

再び多賀大社へ

  初冬の気配の漂う多賀大社へ、4ヶ月半振りにお詣りしてきました。美代も佐紀子一家も毎月お詣りに行くのですが、上手く日取りが合うと今日の様に、お多賀さんで孫に会えるのです。

3連休の中日なのに思ったより参拝客は少なめでした

  神社拝殿の左手に、こんな菊が飾ってありました。「祝・七五三」と赤と白の小菊で仕立ててあり、如何にも秋の七五三詣りに相応しい出来映えでした。近くの方の労作のようです。

アイデアも素晴らしいですね

  どうなっているのかちょっと裏から覗かせて貰いました。企業秘密を見せて貰った気がしますが、これを仕上げるのにどれだけ労力を使っておられるのか、気苦労がしのばれます。

裏から見ると苦労が分かります

  二人の孫はとても元気。ちっともじっとしていない妹を兄がずっと面倒見ているようで、妹の「ゆうな」は日に日に活発になり、兄の「裕大」はその分どんどん優しくなっていくようです。

神社正面の太鼓橋を渡っています

理事会で東京へ

  昨日、国際農友会と(公社)国際農業者交流協会の理事会に出席するため、6時21分発の湖西線に乗って東京へ行ってきました。会場の日本青年館には開会予定の11時前に到着。

  我々の会合は何十年も前から何時も日本青年館なのですが、実は私の父はこの日本青年館の創設の頃に田舎の青年団の団員で、完成した建物の前で撮った記念写真が残っています。

  派米農業研修の渡航前研修を担当していたので、帰国した研修生達と2泊3日の最後の帰国研修の日々を過ごしたのも、昭和54年に改築されたこの2代目の日本青年館でした。

  何時も「ジパング倶楽部」の割引切符で行きますが、新幹線は京都駅から品川駅まで「ひかり」に乗ります。列車の左側の座席に座ると、運が良ければ富士山が綺麗に見えるのです。

富士川を渡る時に富士山が綺麗に見えました

  両方の理事会が終わってから、首相補佐官をしておられる川上義博参議院議員のお世話で、補佐官の補佐官とお会いし研修生制度の置かれている事情をお話ししました。

  残念ながら川上議員は、衆議院議員選挙の応援で鳥取へ帰郷されていて、前回同様昨日もお会いできませんでしたが、国際農友会の理事仲間とお会いした補佐官は財務省の方で、農業研修生制度に農水省からの補助金が今年から全く無くなった事をお話しし、農業後継者を育てるこの事業への理解を深めて頂ける様に、色々お話をさせていただきました。

  来年度派遣する予定の研修生は、先日渡航前講習が終わった時点で欧州へ36名・米国へは66名ですが、7年振りに100名の大台を回復。しかし農水省の補助金が無くなって研修生の負担金は大幅にアップし、農の世界を志す若者に、「アメリカ(1年半)やヨーロッパ(1年)へ農業研修に行かないか」と、気楽に誘えなくなっているのです。

山田錦の検査

  山田錦の乾燥が済んで、JA西びわこに検査をお願いしてあったのですが、9日に行って検査を始めると何と水分過多で、このままだと規格外になって販売出来ないとの事でした。

  粳米は水分16%以下なら検査は通るのですが、普通は15.5~14.5%になるよう調整します。しかし山田錦は水分15%以下でなければ検査は通らないとのこと。

最初に行った9日はこんな良い日だったのですが

  規格外では困るので一旦持って帰り、羽二重餅の乾燥で使った平型乾燥機をもう一度組んで、今度は隙間を全部ガムテープで目張りし、バーナーを使ったのでは米が割れる可能性もあるので、ファンヒーターを使って暖めた空気を送り込んで乾燥しました。

  ファンヒーターを25℃に設定して送風すると、室温15℃なのに米の穀温は20℃に上がり、1日で1%ほど米の含有水分量が下がったので、今日改めて検査に行ってきました。

  残念ながら今日は雨の予報。昨日からパレット積みした米をラップし、トラックに積んでロープで締めてからシートを掛けて準備していました。検査自体は屋内なので問題は有りません。

  昨年同様、スキー仲間のJA職員が検査に当たってくれたので、検査結果も詳細に説明して貰いました。山田錦を作っている2枚の田の内で、小さい2反3畝の方の米の方が品質が良かったのですが、3反2畝の方は藪の陰になるのでさもあろうと納得です。

JAの低温倉庫で検査をして貰いました

  検査結果は2等でした。山田錦は米粒の中心部に心白と呼ぶ不透明な白い部分があり、酒造好適米としての大事な資質なのですが、我が家の山田錦にはこの心白の発現が不十分な米が混じっていて、これが検査等級を落とす原因になりました。

  帰りはもう一度ラップし、ロープで締めてからシートを掛けて戻ったのですが、午後はずっと小雨が降り続いていて、トラックから降ろして倉庫に仕舞えないままになっています。

ラップしてこの上からシートを掛けて往復しました

惣社神社で新穀祭

  15日の夜寒気が入って周りの山々が白くなり、武奈ヶ岳も初冠雪。このところ雨が多く、我が家の苗代跡地は11月に入ってから何日も水浸し状態で、全く乾きません。

  今年初めて預かった幼馴染みの田には、90種類の微生物で発酵した鶏糞や、燐酸・珪酸などが主成分の培養資材を撒いてから、軽く起こしてレンゲの種を蒔きたいのですが。

何処の田もこんな状態で全く入れません

  南市区の惣社神社で新穀祭が執り行われました。今年は残暑が10月まで続いて非常に暑かったので、神社の銀杏もまだ日陰になる樹の北側だけが、部分的に黄葉しているだけでした。

  生憎朝から雨が降ったり止んだりだったので、神社役員でテントを準備し祭礼に備えてくれました。幸い祭礼が始まる頃には雨が止み、雲間から薄日が射して寒さも感じないほど。

例年だと落ち葉で辺り一面が黄色く染まるのですが

  実は田中神社の宮司さんが日取りを思い違いされていて、お電話をして来て頂き少し遅れて祭礼を始めたのが幸いしたのですが、写真を撮るにも陽射しがあって助かりました。

  祭礼が終わると待っていたかのように小雨が降り出し、時折激しくなって直ぐに又陽射しが戻って、典型的な「高島しぐれ」でした。これから当分の間こんな日々が続くのでしょう。

惣社神社では祭礼を田中神社の宮司さんにお願いします

派米2回生同期会

  4年ごとに開いている第2回派米農業研修生の6回目の同期会を、三重県の湯の山温泉・グリーンホテルで開きました。参加者は夫婦で参加の5名を含めて34名でした。

  湯の山温泉は温泉の泉質が非常に良く、しかも御在所岳は紅葉のシーズン真っ最中。ホテルには入浴客も含めて平日とは思えないほどのお客さんでした。ロープウエイで17名が御在所岳へ登ってくれましたが、天気も良く眺望がきいて、素晴らしい紅葉を堪能してくれたようです。

  6時から宴会。幹事を代表して挨拶をしたあと、176人の仲間のうち既に亡くなった18名の物故者を偲んで黙祷を捧げ、参加者を代表して福島から来てくれた神長倉君が挨拶。

  浪江町の神長倉君の家は福島原発から13㎞だとか。何時になったら家に帰れるのかと言う不安を抱えての生活を語ってくれ、一同やりきれない思いで聞いておりました。何とか頑張って生き抜いてくれる事を祈るのみ。何か我々で少しでも支えてやる事が出来たらと思っております。

参加者を代表して福島の神長倉君が挨拶

  宴会では幹事の草川君が頑張って、伊勢エビや松坂牛を組み込んだ夕食を準備してくれ、我が家のコシヒカリを持って行って炊いて貰い、純米酒「かじや村」も持参しました。群馬・京都・北海道・熊本・愛媛・と開いて来た同期会ですが、次回は福島で開く事を決めて宴会を散会しました。

  二日目の今日は大半の参加者が伊勢神宮へ参拝。自家用車で来た者以外はマイクロバスで送迎。9時にホテルを出て伊勢自動車道を通り、11時前に神宮に到着し内宮に参拝しました。

  式年遷宮を来年に控え、新しい神社はかなり工事が進んでいるのに反し、現在の建物は屋根などにかなりの傷みが見られ、それだけに20年ごとの新築の値打ちが分かった気がしました。

参拝を終えて出てきたら参加者はばらけて半数で記念撮影

  参拝の後で「おかげ横町」へ行き、お土産を買ったり昼食をしたりでしたが、大勢の参拝者に紛れてグループはバラバラ。我々は手コネ寿司を食べようと、以前一度入った事のあるお店に案内しました。このお店はご飯が美味しかったので、米作り農家としては安心して案内出来たのです。

  8年前に佐千夫と行った時にはガラガラだったお店ですが、今日は満席のお客さん。我々が食事を終えて出る時には、玄関に女性がバス一台分ほど待っておられ、驚いて仕舞いました。

おかげ横町も平日とは思えぬ人出でした

枚方菊人形

  箕面の浅井治療所へ寄せていただいた帰りに枚方へ回り、枚方パークの菊人形を見に行って来ました。家内の美代が子供のころ、枚方に叔父さんが居られた事もあって何度も行ったので、今年開園100周年を記念して再開された菊人形を、久々に見たいと言い出したものです。

  今日は時間が取れるので折角枚方へ行くのならと、枚方クラレチアン宣教会で司祭をしている派米農業研修後輩の竹延君を訪ね、およそ30年振りくらいの再会を果たしました。

  枚方のカトリック教会へ赴任して来て3年半になるそうです。大きな体を折り曲げる様にして写真に入ってくれましたが、とても元気そうで安心しました。

竹延君とは30年振りくらいの再会です

  枚方菊人形には子供の頃行って、着物の代わりに菊を着ているのを見て非常に驚いた覚えが有りますが、今年はNHKの大河ドラマの「平清盛」をテーマに繰り広げられていました。

何度見ても凄いですね

  特に今回は、たまたま菊師の方が菊人形に菊を着せる実演をされていて、根元に水苔を捲いた小菊を丁寧に組み込んで行かれる様子を見、改めて凄い技に感服してきました。

何とも根気のいる手仕事ですね

  何時も枚方公園の中におられるようですが、「手留手」さんという漫画家さんに似顔絵を描いて貰いました。前の似顔絵から既に6年になりますので、そろそろ人相も変わっているかな…と。

美代は似ていると言うのですがどうでしょう

  6年前の似顔絵は大阪の三井アウトレットパークで、漫画家の「MIZUKI」さんに描いて貰ったもの。名刺に入れたり、純米酒「かじや村」のレッテルに使って貰ったり、大活躍でした。

矢っ張りこっちの方がかなり若いですね

五郎の墓参

  稲刈りが終わって少し時間が取れる様になったので、天気予報を見ながら那須の松永君と打ち合わせ、例年通り長野へ派米農業研修同期の五郎の墓参に行って来ました。

  今年は早く家を出られると思っていたのですが、午後になって続けざまに4人の来客があり、結局家を出たのは夕食が済んで一段落した9時半。駒ヶ岳SAに着いたのは夜中の1時前でした。

  毎年此処でラーメンを食べてから、パジェロの改造後部座席に作ってある特別寝台?で寝袋に潜り込んで寝るのですが、今年は非常に寒くて途中でもう1個の寝袋を使って2重にしたほど。

  家を出る時には小雨模様でしたが、夜が明けると雲一つ無い素晴らしい秋晴れ。駒ヶ岳も綺麗に見えて気持ちの良い朝でした。朝食は焼きたてのパンとカフェラテを車の中で。

駒ヶ岳サービスエリアは素晴らしい夜明けになりました

  毎年上田市周辺の蕎麦屋さんで、那須から来る松永君と落ち合うのですが、なかなか美味しい蕎麦屋さんに当たりません。取り分け今年は、此処に写真を載せるのは控えますが最悪。

  長野の蕎麦のガイドブックなら必ず載っている名店だそうですが、11時の開店時には10数人がお店の前に待っておられたほど。食べ終わって出て来ると行列は更に長くなっていました。

  味の方は、蕎麦好きの我々が少し食べ残したと言えば、およその事は分かって貰えるかと思います。あらかじめ硬めに茹でておいた蕎麦がザルに山盛りにしてあって、殺到するお客に次々に出しているとしか思えない蕎麦。そうでなかったら、注文してからそんなに早く出てくる訳も無いので。

  しかも蕎麦粉は何割か入っている?と言い合った程で、つけ汁も美味しいとは言えず、特筆するほど量は多かったのですが美味しければの話でしょう。二度と行かないからこの辺で止めます。

  上山田温泉の花屋「二通園」さんに寄って、例年通りお墓詣りのお花を買ってから四十曲峠を越え、五郎のお墓へ行きました。お花とお線香をあげ、松永君が五郎の好物だったビールを墓石に。

ビールの泡を那須の水で洗い流しました

  ビールを掛けっぱなしではいかんからと、那須から持参してくれた水でお墓を洗ってから二人で般若心経をあげ、3時半過ぎまで墓前で四方山話。五郎が亡くなって今年で40年になります。

  松永君が持って来た椅子に座って話していましたが、昨年と同じ11月3日に来たのに今年は寒くて、少し早めに五郎の実家へお邪魔し、5時半過ぎにおいとまして11時に帰って来ました。

  途中のSAで1時間ほど休憩したので、帰路は実質4時間半くらい掛かりました。往復800㎞強ですがちょっと日帰りにはきついので、前夜から出掛けて26時間ほどの旅行になりました。

夕日が林の向こうに隠れると急に寒くなります

摺糠の処理

  籾の乾燥が済むと籾摺をします。玄米を包んでいる外皮:籾殻(モミガラ)は、この辺りでは摺糠(スリヌカ)と呼ぶのですが、籾摺機から小屋の外の摺糠コンテナーに排出します。

  我が家の摺糠コンテナーには、約20~25俵分位の摺糠が収容出来ますが、満タンになると刈り穫りの済んだ田に散布します。今回は雨の後なので、道路を汚さないよう近場にしました。

トラクターで牽引するトレーラーでは散布も2人掛かり

  最初の頃は、一番先に稲刈りをした玄関先の田に摺糠を撒いたのですが、10月中旬からレンゲが生えてきて入れなくなりました。実は種蒔きをするのに動力散布機を使ったら、ちょっと播種量が多すぎたのです。普通は2㎏で充分なのに、3倍以上は撒いて仕舞ったかなと思っています。

来春は素晴らしいレンゲの花が満開になるでしょう
プロフィール

 平井 貞夫

Author: 平井 貞夫
 かじや村は鍛冶屋村。私の住む戸数10戸の小字名。
「かじや村便り」は平井農産のホームページに載せていましたが、平成22年5月号からブログへ移行しました。
 青文字の部分をクリックして頂けば、関連するブログやホームページへ移動します。
 
 滋賀県高島市安曇川町田中  平井肥料店/平井農産

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